一定期間更新がないため広告を表示しています


DSC_0008-1.jpg
最近なんだかんだ人に恵まれていたんだな〜と思うことが多くなってきました。その時にそう思うなら要領が良いんだろうけど。。

右も左もフランス語のフの字もわからない若造を受け入れてくれた人達といまだ繋がりがあります。嬉しいことも悲しいことも節目節目には連絡を取り合ったり何か僕が出来ることがないかと考えたり…。

先日ビゴさんが亡くなり落ち込んでるかな?と思っていましたがピエールさんは淡々として元気、数日前までフランスに帰っていたようでお土産にあちらのアンドゥイエット貰いました。
そして注文するのはアンドゥイエット。

どんだけ好きなのー(笑)


そして今の僕が有るのはこの人!っていうほど影響されているのがシェ・ピエールのシェフだった中嶋さん。常に冷静でシェ・ピエールをコントロールしていた影のドン。
ある意味ムッシューと僕見たいなぺーぺーの間を取り持つ大人なのでした。

しかしあの頃からもう30年以上経ちますが、当時アルバイトで週末来ていた旧姓Wさんにもサービスのイロハを沢山学んだ事も今に繋がっています色々と。。
なんというかファミリーみたいなもんだね。

このブログで細かいこというのはなんだけど、とにかく平成最後の年は激動の年だったと察しています。

フランスパンの伝道師カルベル先生の弟子として日本に来たピエールさんとビゴさん。1960年台なんて外国人が日本で商売するなんて今ほど簡単ではなかったと認識してます。
時を経て二人とも独立。ピエールさんは北青山でビストロ、ビゴさんは芦屋でパン屋。

独立するにあたってとんでもない苦労と忍耐があったと聞いていますが僕にはその苦労や苦悩を想像上でしか理解出来ません。

中嶋さんが「ほんと色々あったね」と一言。。
ほんと色々有りすぎて、でも今日来てくれてシェ・ピエールは跡形も無いけどエスプリはバリバリ活きてるなーと感じた一日でした。

実はパンを作りながらいつも頭の片隅を過るのは「このパンはピエールさんやビゴさんがおいしいと言ってくれるかな?」です。

だから常にハードルがとんでもなく高い(笑)

パンの神様とか達人と言うならこの二人を抜きにして語れないだろうと思う。

技術や理論を受け継ぎ其々の分野で切磋琢磨する。。新しい文化とは細い糸のようなもので延々と繋がって造られて行くものなんだろうね。

そしてやはり躊躇なく厨房へ入って来るのはピエールさん。そこら辺は遠慮とか全く無くて寧ろ嬉しかったです。
関連する記事
コメント
コメントする